■Bill Pritchard | ビル・プリチャード、最新インタヴュー。待望の初来日公演は7月31日&8月1日です!

ビル・プリチャード、インタヴュー
(インタヴュー by 鈴木喜之)
●1991年に『Jolie』を聴いて大ファンになりました。あれから25年後に日本公演が決定し、こうしてインタビューもできるなんて、本当に嬉しい驚きで夢のようです。あなた自身は今回の来日について、どのような気持ちがしていますか? 日本という国については、どんなイメージを持っているのでしょう?
「まず、嬉しい言葉をどうもありがとう。『Jolie』と言えば不思議なことなんだけど、丁度、何年かぶりに『Jolie』に収録された曲を練習していたんだよ。『Jolie』の曲は僕にとって、時には少し頼りのないもので、時には20代半ばだったころの啓発的な日記のようなものなんだ。あと、数年前に『Jolie』の日本盤をもらってね。とても綺麗に包装されていたんで、いまだに開けていないんだよ。日本ツアーはとても楽しみにしている。僕にとっては、全く馴染みのない言葉の国で初めてプレイすることになるんだ。デヴィッド・グレイのメンバーとして日本でツアーをしたことがあるティム・ブラッドショウは日本について、僕が行ったことがある国の中でも一番クールな国だよ、と言ってたよ。日本のネオンカラーとそこに住む人たちに会うことを楽しみしている。僕は日本の文化に対して本当に何も知らないんだ。だから、日本へ行ってそれを矯正しないといけないね。あ、日本のアニメや漫画のアートワークは大好きだよ。本当に美しいよね! 確かに日本のアニメや漫画は今の物なんだけど、僕には昔の日本のアートや文化の影響が滲み出ているように思えるな。あと、時間が許せば、神社やお寺にも行ってみたいね」
●前作『A Trip To The Coast』をリリースするまで、8年間ほどブランクがあったようですが、この時期はどのように過ごしていたのでしょう?
「うん、8年って長いよね。けど2人の娘を育てたり、フランス語やドイツ語を教えたりして、忙しくはしてたんだ。リリースはなかったけど、曲も書き続けていた。あと、家の裏庭にある《Audience Of One》という小さいスタジオで、録音した曲はすべて聴けるようにしていた。この間は、単発でライヴをやったりツアーをすることもなかったね。だから、地理的に動かないことによって音楽と距離を保っていた、とは言える。そう、距離を保っていた、というのが適切かな」
●前作も、そして最新作『Mother Town Hall』も、レコードを聴いた限りでは、かつてと変わらない、あなたならではの美しいメロディとサウンドを聴くことができますが、8年を経て、自分の音楽創作について何か変化があったと自覚しているようなことはありますか?
「曲を書くときには、《物語》《人物(実際の人も架空の人も含む)》《色々な人の物語を合成した物》を、ひとつのキャラクターに凝縮して、3分間のポップソングに仕上げることが好きなんだ。歌詞的には、僕の作るキャラクターはここ数年、優しくリラックスしたようになったと思う。それは書き手である僕もそうなったからだと思うよ。けど、曲を書くときのアプローチは根本的に全く変化はしていないね。まず、曲の骨子は、ギターかピアノを使って書く。そう、最近の2作は、友達であるティム・ブラッドショウと作ったんだ。僕がつくった曲の骨子に彼はフレシュなものを付け加えてくれるし、時には一緒に骨子自体も作った。僕らはお互いをよく知ってるんだ。もう30年以上も知り合いだから、僕がやることと言えば、彼にムードやカラー、時代性を伝えることだけなんだよね。それだけでティムは僕が意味することを分かってくれるから。この前のアルバムに収録された”Saturn and Co.”という曲を例にあげると、『60年代半ばのYeh Yehのヴァイブを持ったブリジット・バルドーのBサイド、みたいなサウンドの曲にしたい』と僕は彼に言ったんだ。そしたら彼はそれを完全に組み込んでくれたよ。最後に、もちろん時代の違いはあるけど、僕の作る曲は全て連続性を持っていると思う」
●ティムが近くに引っ越してきたことが、カムバックのきっかけになったそうですが、彼はあなたにとってどんな存在なのでしょう?
「その通りだよ。2009年頃、彼は電話をかけてきたんだ。『イギリスに戻ってきたんだ。会わないかい?』ってね。彼はアメリカに住んでいたんで僕は本当に驚いたよ。けど、良いことのように思えた。一方、彼は僕があんまり行かないロンドンの南のほうに戻ったとばかり思っていたんだ。そしたら、ノース・ミッドランドのニューカッスル・アンダー・ライムにある僕の家から僅か1マイルのところに移ってたんだよ。それで、会うための口実として、僕の家の小さなスタジオで作業を始めたんだ。僕が曲を書いて、彼がプロデュースをして、最終的にそれがアルバム『A Trip To The Coast』となった。音楽的に言えば、彼は素晴らしい耳をもった優れたミュージシャンで、どんな楽器を扱うこともできる。しかも、生活の様々な事や互いの家族を介して、いろんなことを一緒にやっていて、互いのために存在し続けているんだ。彼は僕の最高の仲間さ。彼は素晴らしいアイススケーターで、僕はそうではないけどね。あと、アルバムのカヴァーでもよくコラボレーションしてるよ。彼は才能のあるフォトグラファーでもあるからね。ソーシャルメディアやウェブサイトでもチームを組んでいる。そうそう、最近アップロードされた”Mont St. Michel”のビデオは見る価値があるよ。このビデオも彼が手掛けたんだけど、曲から歌詞を取り出して、マイク・リード(彼も僕にとって重要な存在で、ライヴでギターを弾いたり、前のアルバムではギターやバンジョーを弾いてくれている)にとても簡素な漫画のような絵を描いてもらったんだ。チャンスがあったらチェックしてよ。完璧なローファイで、とても気に入っているんだ」
●新作も、ホーンの追加レコーディングはフランスで行なわれていますね。あなたは過去のキャリアにおいても、本国以上にフランスで人気が高いと聞いています。ご自身では、どうしてそうなのだと考えていますか?
「学生だった頃、学位の一環として、ボルドー大学に通っていた時があるんだけど、そのせいかな。80年代の中頃で、当時はコミュニティ・ラジオの時代だった。個人でラジオ・ステーションを立ち上げることができたんだよ。そうしたコミュニティ・ラジオの一つであった《la vie au grand hertz》という局で、今はフランスでジャーナリストをやっている友達と、『A drop in the Ocean』という番組を持っていたんだ。そこで僕は、60年代や70年代のフランスの音楽について学んで、大好きになった。フランソワーズ・アルディ、アントワーヌ、ミッシェル・ポルナレフといったシンガーの音楽を勧められたよ。ポルナレフのアルバムは以前から持ってはいたけどね。あと、自分の曲の中でもよくフランス語のフレーズを使っていたんだ。そんな曲をイギリスで演奏していると、ちょっと異質に思われたのかもしれないね。どんなカテゴリーにも属さないからね」
●他にロイド・コールやライラック・タイム、モノクローム・セットといったアーティストをリリースしているTapete Recordsと契約するに至った経緯を教えてください。
「Tapete Recordsとの契約には全く時間がかからなくて、本当に偶然だったんだ。僕は本当に久しぶりにフランスのノルマンディーでライヴをやることにした……そこだと、僕や娘がちょっとしたホリデイをとれるからね。かつて僕のファンで、今は良い友達になったVincent Lemarchandという人が、そのライヴでベースを弾いてくれた。で、ライヴの後、彼が新しい曲はないのか?と訊ねてきたんだ。そこで僕は、ティムと一緒に家の裏庭のスタジオで作った曲をプレイしてみせた。そしたら彼が『これは絶対にリリースすべきだ』って言ってくれてね。そしてフランスから戻ったとき、偶然にも、僕のドイツ人のファンが、新しい曲はないのか?とメールしてきた。彼は、Tapete Recordsにコンタクトしてみるべきだ、とも伝えてきたんだよ。僕が大好きなロイド・コールをリリースしていたから、Tapeteのことはよく知っていた。だから彼らに新しい曲のMP3を送ってみたんだ。数週間後、リリースしたい、と彼らは言ってきた。こうして、アルバムはリリースされたんだ。Tapete Recordsのロースターはクールだよね。その中には僕のヒーローも含まれている。あとTapete Recordsの人たちも同じくクールで、これは最も重要なことなんだけど、音楽に対してまっすぐなんだ。ザ・モノクローム・セット(Bidは僕のヒーローの1人)、ロバート・フォースター、マーティン・カー、ネクスト・ストップ:ホライズンといった、イギリスのインディー・ミュージックに影響を与えたアーティストが大勢所属している。あと、Die Liga der gewöhnlichen Gentlemenという隠れた宝石も持っているんだ」
●そういえば、あなたの声質はモノクローム・セットのBid、あるいはルー・リードとかともちょっと似ているような印象も受けるのですが、シンガーとして、特に影響を受けたアーティストといったら誰になりますか?
「さっきBidについては話したけど、彼のヴォーカルのスタイルはあまり僕には影響を与えていないと思うよ。10代の頃、ルー・リードの『ベルリン』や『トランスフォーマー』は大好きだったんで、彼からは大きな影響を受けたな。僕が最も影響を受けたヴォーカリストは、ちょっと奇妙に聞こえるかもしれないけど、フランク・シナトラとアンディ・ウィリアムズなんだ。あと僕が育ったミッドランズという街にも影響を受けてる。しわがれ声のアクセントとかね」
●もともと、あなた自身は若い頃どのような音楽環境に育ったのでしょう。当時好きだったアーティストや、自分自身でも音楽をやることにしたきっかけなどについても教えてください。
「僕の両親は楽器を弾かなかったんだけど、カナダに住むおばさんがショーで歌っていた。ただ、僕はおばさんに会ったことはないから、影響を受けたかどうかはわからないね。そういえば、僕が5〜6才の頃、楽器を弾けない母がウクレレを習い始めて、僕にも教えてくれたんだ。これはよかったね。彼女から並んだ最も重要なことは、いかに左利きの人間がウクレレを弾くか、ということ。彼女は違ったけど、僕は左利きだったんだよね。よく”Early One Morning”という古いバラードを弾いていたよ。小さな頃からポップ・ミュージックは大好きだったんだ。11才の時はスレイドの大ファンだったよ。彼らは地元のバンドで、良い曲がたくさんあった。父さんや兄弟と毎週木曜日の夜には『Top Of The Pops』を見ていたね。7~10才の頃はBBCのレディオ2をよく聴いていた。そこで流れる曲の構造なんかに本当に驚かされていたよ。すごくエキゾチックに聴こえたんだよね。Danaとか、”Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree”ですら、僕の手には届かいないような曲に思えたよ。そして14才を過ぎた頃、ジョン・ピールの深夜のラジオ番組を聴き始めたんだ。そこで、ダムド、アンダートーンズ、ラッツといった偉大なバンドを知った。ペリー・コモ、ビートルズ、キャプテン・ビーフハート、シド・バレットがいた本当に初期のピンク・フロイド、セインツなんかは僕にとって大きな違いはなかったんだよ。だって、どれも偉大なポップ・グループだからね。こうして僕は親友と学校でバンドを始めたんだ。僕がギターを弾いて歌を歌った。親友はベースを弾いて、バンドにはエキセントリックなドラマーがいたな。僕らは村のホールでプレイして、ガムやキャンディみたいな駄菓子を売っていたんだよ。自分で曲を書き始めたのもこの頃だね。僕の父さんは大の読書家だったんで、ジョン・ブレイン、ディラン・トーマス、P・G・ウッドハウスといった作家を教えてくれた。だから、僕の曲の歌詞は彼らから大きな影響を受けているよ。この学校時代のバンドはAnthea and the Organelsと呼ばれてたな」
●来日公演を本当に心から楽しみにしています。それが終わった後、今年後半からはどんな予定になっていますか。次のアルバムについては、どのていど構想がまとまっているのでしょう? ミュージシャンとしての今後の活動を、どのように計画しているか現時点での考えを教えてください。
「次のアルバムをもう半分くらい書いてしまったんだ。アルバムにゆったりとした繋がりを持たせる為のトリプシン(消化酵素)を常に作るのが僕のアイデアで、『A trip to the Coast』と『Mother Town Hall』は美的にも音楽的にも互いをフォローしてるんだよね。だから『Mother Town Hall』のトリプシンも、次のアルバムを美的に且つ音楽的により発展させなくてはならないというわけ。あと、今年の終わりには久しぶりにフランスのパリでプレイする。そこでは、ザ・ロフトやウェザー・プロフェッツで活躍したピーター・アスターとプレイするんだ。彼とはかつてよく一緒に活動していた仲だから楽しみだね。もちろん、日本でのショーも楽しみにしているし、そちらでも何人かの日本のミュージシャンと共演する予定だよ。そのうちの一人がコンドウ・セイイチで、今回の日本でのショーが実現できたのは彼のおかげなんだ」
Bill Pritchard
Sings
Jolie and more
イギリス出身のシンガーソングライター、ビル・プリチャードが待望の初来日です。1987年デビュー。本国イギリスよりも、フランス、ベルギー、そして日本で人気が高く、特に4作目「Jolie」はネオアコースティックの名作として長く聴き継がれています。2014年に8年の沈黙を破り新作を発表し欧州ツアーを再開。2016年に「Mother Town Hall」をリリースし、初めて日本のオーディエンスの前にやってきます。ビル本人も予想できなかった新たなキャリアのピークを迎え、本人も待望の来日となりました。
2016/7/31(Sun)&8/01(Mon)
Alternative Cafe (東京・中野)
http://www.alternativecafe.jp
開場19:00 / 開演19:30
チャージ:予約4,000円 / 当日4,500円 (ドリンク代別)
※本公演は、小規模開催につき、席数が限られます。お申込はお早めにお願いいたします。
主催・ご予約・お問い合わせ
Blue Songs Project
bluesongspj@gmail.com
https://www.facebook.com/bluesongspj/
(ご予約は、ご希望の公演、お名前、人数、お電話番号を上記メールアドレスまでお願いいたします)

2016.3.2 ON SALE
ヨーロッパで高い人気を誇る英のSSW、ビル・プリチャード。
復活作となった前作から1年、再び盟友ティム・ブラッドショーと作り上げた新作『マザー・タウン・ホール』が完成。
BILL PRITCHARD
“MOTHER TOWN HALL”
ビル・プリチャード『マザー・タウン・ホール』
■品番:TR320J[国内流通仕様]■価格:¥2,100+税
※国内流通仕様は帯付で解説他は付きません。
【収録曲目】
1. Saturn and Co.
2. Mont St. Michel
3. My first Friendship
4. Vampire from New York
5. 15A Holy Street
6. Dejá Vu Boutique
7. Heaven
8. September Haze
9. Lilly Anne
10. Victorious
11. Mother Tongue
12. The Lamplighter
Saturn And Co. - Bill Pritchard (snippet)
ビル・プリチャードは英スタッフォードシャーのリッチフィールド出身のシンガーシングイライターだ。1987年にアルバム『Bill Pritchard』でThird Mindよりデビュー。1988年にセカンド・アルバム『Half A Million』をリリース後、PIASと契約。同年にDaniel Darcとのスプリット・アルバム『Parce Que』をリリース。1989年にはアルバム『Three Months, Three Weeks And Two Days』をリリースし、アメリカでも注目を浴びる。その後『Jolie』(1991年)、『Happiness And Other Crimes』(1998年)、『By Paris, By Taxi, By Accident』(2005年)とリリースを続け、2014年には9年ぶりとなるアルバム『A Trip To The Coast』をTapete Recordsよりリリースした。当『Mother Town Hall』は再び盟友Tim Bradshawと制作された。レコーディングは故郷スタッフォードシャーのバーズレムでおこなわれ、ホーンはフランスで追加レコーディング。ミックスは長年のスタジオ・パートナーであるRoo Pigottによって、バーズレム、ベルリン、シンガポールでおこなわれた。
同時発売
前作から約9年振りにリリースされた2014年の復活作『トリップ・トゥ・ザ・コースト』。
BILL PRITCHARD
“A TRIP TO THE COAST”
ビル・プリチャード『トリップ・トゥ・ザ・コースト』
■品番:TR280J[国内流通仕様]■価格:¥2,100+税
※国内流通仕様は帯付で解説他は付きません。
【収録曲目】
1. Trentham
2. Yeah Yeah Girl
3. Posters
4. Toute Seule
5. Truly Blue
6. Almerend Road
7. In June
8. Paname
9. Polly
10. A Trip To The Coast